共同体があって個がある | リプライオリティ社長BLOG

共同体があって個がある

今日は9月23日。なにかを忘れているような気がすると胸がざわついていたのですが、明日は会社の設立(登記)日でした。

 

会社は毎日、毎期が闘いなので、設立日だからどうってことはないし、社歴もただの経過年数なので、特に気にしていないのですが、明日で24歳になります。自分が24歳にもどりたいわ叫び

 

ところで、近年「個の時代」と言われているのはご存知の通りだと思います。多くの20代、30代は終身雇用されるのを前提とせず、個人のキャリアメイクを考えています。副業も会社に従属することに対してのある種のアンチテーゼなのでしょうか、それともお小遣い稼ぎなのでしょうか。私にはよく理解できない(自分はそういう働き方を望んでいなかった)のですが、いずれにしても「自分らしい生き方」が主軸にあると思います。

 

私も自分らしい生き方を志向することは賛成ですし、自分もそうしてきたのですが、ひとつ思うところがあって、それは「共同体があって個がある」という事を私たちは忘れてはならないという事です。

 

私は10代の頃に外国に留学していたからか、日本という国家と日本人について今でもよく考えます。国によって国民性ってありますよね。イタリア人は●●だよね、とか、ユダヤ人は●●だよね・・・とか。とにかく人種で人を形容します。

 

留学していた時はそれが嫌で嫌で、差別されているような感覚を受けていたのですが、最近は肯定的な見方をするようになりました。

 

よく「社風」とか出身学校の「校風」も「国民性」と同じような括りだと思うのです。要は「共同体」によって個が創られるのです。個があって共同体が創られるわけではない。その最上位が「国家」なのかと私は思うわけです。

 

自分が何者であるのかを知るには日本の歴史からアプローチしていくといい参考になるかもしれません。何事も昔があって今があるんですよね。平和な日本にも理由があるわけです。

 

と、いうことをイギリスの国葬を見ながらぼんやりと考えていましたイヒ