今更メルカリ
最近メルカリにハマっていまして(^-^;
このビジネスモデルを創った創業者はすごいな、と改めて思います。
本はバーコードをスキャンすれば、売れやすい値段が自動的に出て、本のタイトルなども入力する必要がありません。
また、匿名で取引できるので、個人情報も保護されるし、配送料も比較的安価になっています。
ブックオフは「捨てるんだったらいくらかお金になるので持っていこう!」という、言わば「チリ紙交換」型ビジネスで、売る際には需要を考慮した価格設定がされていて、その差分が利益でした。
対してメルカリは直接取引で、需要に合わせた値段で販売できます。メリカリは販売代金の10%が手数料として利益になるので、需要と供給のさや抜きではありません。ここが大きな違いですよね。言わずもがなですが(^^;
そして、需要のポイント(販売金額)が可視化されているので、売りやすく、そして買いやすいというとても秀逸な仕組みだと思います。
リサイクルショップに持って行った方が発送などの手間が省けますが、売り手側が得られる金額が圧倒的にメルカリの方が多いのでその手間と比較してもメルカリの方を利用します。
フリマアプリは他の会社もどんどん追随していますが、メルカリのユーザー数が圧倒的で売買も成立しやすいので、メルカリは先行者利益を充分に享受していますね。
既存の価値観を変える会社は「ゲームチェンジャー」と呼ばれていますが、リサイクル業界のまさにゲームチェンジャーですね。
とても参考になったのと共に、弊社のビジネスも新し価値創りをもっと頑張ろうと思い直しました
サロマ湖100キロウルトラマラソン
今年もやってきました!サロマ湖100キロです('ω')
ウルトラマラソンとは、フルマラソンよりも長い距離を走るマラソンの事を言うのですが、私が100キロマラソンを走り始めたのは9年前。
その時は14時間以上かかって這いつくばるようにゴールしましたが、早くも10回目です。9年間も100キロマラソンを続けているなんて我ながら良くやっていると思います(^^)
フルマラソンは特に何の対策をしなくても完走は出来るのですが、この100キロマラソンだけはいつになってもドキドキするというか、完走できるか分からない私にとっての唯一のレースなんです。
サロマ湖ウルトラマラソンまでの練習ロードマップと、今年取り組んだ事を簡単に書くと・・・
10月トレーニングスタート
12月~3月まで毎月フルマラソン出場
4月 65キロ走
5月 60キロ走
6月 54キロ走
月間走行距離平均 約150キロ 昨年はシーズン後半200キロ/月 走ったのですが、足底と腰を故障してしまったので、練習過多にならないように抑えました。あとは100キロに負けない体づくりでウエイトトレーニングを週二回やっていました。
↓一週間禁酒をして臨みました。
↓12時間48分でゴール!いつもギリギリなんでハラハラしながら13時間走るという苦行
朝の5時時点での天気は曇りで、気温も10℃くらいだったので、良いコンディションだと思っていたら、昼間は晴れて24℃。一気に地獄に突き落とされました。
60キロ通過7時間半。残り40キロを5時間半で走り切らないと失格になるのですが、フルマラソンだったら余裕なのですが、60キロ走った後の残りタイム5時間半は不安たっぷりだったのですが、80キロ地点、絶望の淵でフラフラになっていたところ、ウルトラマラソン界の有名人で完走請負い人(私が勝手に名付けています)の最年少グランドブルー(サロマ湖を20回完走)の鈴木健司さんに遭遇し、「完走ペースで走っていますか?」の問いに「私の前を走っていれば大丈夫ですよ」との心強い返事。一気に体にエネルギーが復活して、そのままゴールできました。
マラソンは脳の働きをすごく意識させられるスポーツです。自分が思っている限界は実は限界じゃなくって、脳が勝手に限界の指令を体に出しているだけなのです。本当の体の限界はずーっと先なんですね。
ゴール直後は辛すぎて「もう絶対に100キロ走らねー」と心の中で宣言していたのですが、3週間たった現在・・またやってやろうという気持ちになってきました。
サロマンブルー(10回完走者に与えられる称号で、足形がサロマ湖に永久掲示されます)まであと6回なので、気が遠くなりますが、努力の継続は仕事のテーマでもあるので、あと2回くらい完走したら現実的な目標にしたいと思います!
一隅を照らそう
タイトルそのままの写真ですが・・・
先日京都に出張した際にちょっと足を延ばして比叡山に行ってきました。
その際に見つけた石塔に彫られた言葉が良い言葉だったのでパチリ
「一隅を照らそう」
石塔の裏にその解説が書かれていたのですが、曰く
「人それぞれに与えられた役割があり、置かれた環境にて自分の役割を全うできる人が尊い」
といった趣旨だったと思われます。
私は会社を創業したての20代の頃、「頑張れば誰もがスーパープレイヤーになれる」と思っていたし、公言していましたが、30代になり、その考えが間違っていると思いなおしました。
子供の学校に行けば子供たちの安全な毎日を見守ってくれる「守衛さん」がいるし
ゴミの日にごみを出せば「ごみを収集する人」がいるし
目的地まで交通手段がなければタクシーがあって「タクシーの運転手」がいるし
どれも社会が構成されている中で必要な機能です。
一般的に尊敬されていない職業に従事している人が偉い!という短絡的な話でもなく
「どんな状況に置かれても自分の役割を全うする気持ち」と「自分の価値観ではなく、いろんな人の立場を尊重し、敬意を持つ」
地味ですが、大事な事だと思います!
柴又60キロ
マラソン14年目の2019年、100キロ挑戦し始めて10年目。よくここまで続けたと思います(^^)/
マラソンにはマンネリしていますが、マンネリでも続ける理由を自分なりに見つけるという修行だと思ってやっています。
そしてサロマへの前哨戦である柴又60キロも何回目だろう・・・・メインのレースではないのでカウントしておりません・・
河川敷のコースで全く面白みはありません(^-^; 加えて例年猛暑になるので、今年は2週間前倒しの開催でした。
結果、7時間30分。余力を残してこのタイムだったので、仕上がりは今のところ順調です('ω')
ウルトラマラソンは絶対的な走力も必要ですが天候によってコースの難易度が大きく変わります。特に暑さは大敵でして、先日サロマで39.5℃を記録しましたが、本番当日にその気温になったら・・・・冗談じゃなく死者が出ると思います。私は多分出走しません(できません)
話は変わりますが、最近読んだ本
小説自体はフィクションだと思いますが、戦後の沖縄で必死に生きるウチナンチュ(沖縄人)を良く描き出していると思います
統治下の沖縄はアメリカ人のやりたい放題(現在でも日米地位協定があるので、事実上やりたい放題)の中、戦果アギヤーという、米軍基地から物資を盗み出す子供たちの物語ですが、単に盗むだけではなく、盗んだ品物を食えない人たちに分け与えたり、盗んだ物資で学校を作ってあげたりと、単なる蛮勇ではなく、街のヒーローでもあったのです。
沖縄の戦後史は日本のそれとは全然違うので、興味ある方はぜひ一読ください。歴史や文化を知ることは多様性に対しての理解に繋がり、それが人格形成につながってくると私は思って本を読んでいます。
令和
気が付いたらブログを2か月半更新していませんでした('◇')ゞ そして時代は平成から令和に。
令和が発表されたときに私は些か冷めた目で見ていたというか、何も変わらないだろうと思っていましたが、意外に世間が祝賀モードになったので、経済人としては嬉しい限りです
ランニングついでに寄った護国神社(福岡)
令和は本当の意味での天下泰平の世になって欲しいですね
せっかくおめでたい事ですので、これを機に寺と神社の違い、「神道」について多くの人が学習して頂ければと思いました。
そしてゴールデンウィークはどんたく。
どんたくは簡単に言うとパレードで、参加者(団体)がそれぞれ好きな服装や音楽で練り歩くイベントです。
意外?!に地元福岡の人たちはそんなに盛り上がっていませんが、それなりに見ごたえありますよ(^^)
何気なく過ごしている毎日ですが、気が付けば元年に中学生だった平成も終わり、新時代を迎えているので、弊社も悠々と急いで新しい価値創りに邁進したいと思います!
以上、所信表明でした
近況など
マラソンを始めて14年目の2019年シーズン。去年も書きましたが、マラソンが自分の中で既にマンネリ化しているのですが、モチベーションをコントロールしながら同じことを続けるのも自己啓発の一環だと自分に言い聞かせつつ続けています。
11月から出来るだけ毎月フルマラソンを走って、6月に100キロマラソンを走破するという過ごし方とどれだけ長くできるか、というチャレンジです。毎年何かしらのアクシデントがあり、それをどう乗り越えるのか実践していくのもキツイですが楽しくもあります。
最近のマラソン
↓茨城県は勝田という、東海原発近くでマラソンしてきました。この日の夜にインフルエンザを発症し、一週間ほど地獄を見ました( ;∀;)
タイムは4時間20分
↓電車オタクな私は思わずパチリ。ローカル線Loveなんです
先週は第二の故郷である北九州にてマラソン
↓コレを知っている人は立派な北九州市民です! 1901年、八幡製鉄所が稼働した頃の高炉
湖月堂の栗まんじゅう
資さんうどんのぼたもち
タイムを追い求めて一生懸命走るのはもうできないので、こんな感じで別の楽しみを見つけて走っています(^^)/
でもマラソンはゴールすると、何とも言えない充実感と爽快感が私の体を満たしてくれます。
だから止められないんでしょうね
Be free like a flying peace dove.
早いもので、ついこの前生まれたと思っていた息子も13歳に。
自分が13歳の頃はどうだったんだろうかと振り返ってみましたが、マトモな思い出がありませんでした( ;∀;)
私が中学1年ー2年の頃は絵に書いたようなモラトリアム人間で、今でも中学の大半の時間を無駄にしたと思っています。
とはいえ親が子供に対して何らかの強制ができるのは小学生くらいまでが限度で、中学生からは自分の意思で行動するようになると思います。良くも悪くも。
そこで、親としては気づきを与えるべく中学に進学したときには私は子供に長文の手紙を書き、今回の誕生日には本を数冊プレゼントすることにしました。そのうちの一冊です↓
「世界で何が起こっているか」は日本に住んでいると知ることが難しい事の一つだと思います。
私がアメリカに留学していた高校時代、留学当初はESLクラス(外国人クラス)にいたのですが、カンボジア、ベトナム、レバノン、ラオス、ポーランド、東ドイツなど、紛争地帯や共産圏からの移民が数多くいました。
授業の中でお互いの国の事をスピーチする機会も数多くあり、その中でもカンボジアやベトナムからの移民の子の話は日本から来た私にとって衝撃的な話でした。
「家族が夜中に拉致されてそのまま帰ってこなかった」 「目の前で親が殺された」 など・・・
そして彼、彼女等は平和な環境にいること、自由に生活できること、好きなだけ勉強ができることを心から幸せに感じながら生活している事を語っていました。
高校当時、そういった話を当事者から聞いた私の経験は私の貴重な財産として今でも度々思い出します。アメリカの大学や大学院は勉強が主体ですが、高校の留学は勉強が比較的簡単な分、様々な文化に触れる時間や機会も多かったです。
こういった本を読んでもらって、自分自身を考える一つのきっかけになればと思ってプレゼントします(^^)/
しかし、紛争の受益者は武器を売る大国、ダイヤモンド、石油などの利権が欲しい大国で、犠牲者は戦場の国にいる戦士を含めたすべての人という図式が悲しいことに昔も今も変わっていないのは何とも嘆かわしい事です。
運は準備と機会の交差点
Luck is the intersection of preparation and opportunities.
アメリカではよく使われている私の好きな言葉です。
努力しない人に幸運は巡ってこないし、だからといって努力したから運が巡ってくるわけでもない事は私も理解しています。
どんなにビジネスや私生活が上手く行ってなくても、努力する事を放棄すれば、必ず状況は悪化するワケですが、だからといって努力を続けたところで、いつ改善できるかなんて誰もそんなこと教えてくれません。
しかるべき道が用意されていて、誰かが教えてくれた努力さえすれば必ず幸せになることが出来ればそれがベストなのですが、それもほぼ妄想に近いものがあると思います。 どんな立場であれ自分の道は自分で切り拓くしかないのです。
1998年に創業した弊社ですが、21年の歳月の中でこのタイトルにあるようなintersectionに遭遇したと感じたことはありません。しかし、創業時に決意した「人々のライフスタイルを変革する」事を諦めた事もありません。道半ばと言うにも憚りがあるくらいの現状ですが。
弊社は創業してから幾度もの業態転換をしてきました。利益が出ていても損切りした事業もあれば、立ち上げ当初から上手く行かなかった事業もあれば、立ち上げ当初はダメでも後に花開いた事業もありましたが、ポートフォリオの枠組みの中で無茶にならない程度のチャレンジを繰り返してきたのは全て「intersection」に出会うためです。そんな中でも実質無借金経営を21年間貫けているのは努力の成果だと思っています。しかし、あくまでも無借金が経営目標ではなく「人々のライフスタイルの変革」が目標なので過大評価もしていません。
諦めずに継続する事は大変キツい事でありますが、成功者に聞くと「夢が叶うまでの途中の方が叶った後より楽しかった」とも言われている事ですし、現状を如何に前向きなパワーに変えられるのかが大事なのではと思います。
とはいえ、早く「intersection」に出会いたいですー
2019年
新年あけましておめでとうございます!!
いつの間にか2019年になってしまいました。 2000年になったのがついこの前のようですが、もう20年近く経つんですね(^-^;
↓会社のエントランス前にて
昨年は会社の20周年というおめでたい年でもあったのですが、弊社の状況は決して手放しで喜べるような感じではありませんでした。
人数が増えて拠点が増えて売上が増えたことは良い事なのですが、組織の変化に対してマネジメントを変化させなかったことにより様々な問題やトラブルが噴出しました。
このまま拡大基調一辺倒で行く事はリスク要因が相乗的に増えていくのは自明の理と思い、2019年は
「基礎の再構築」に重点を置くことに決めました。
次なる成長の為に、もっと高い建物を創るために強固な基盤を創って、社会にとって価値ある会社になるために挑戦をあきらめないぞ!
という新年の決意です
今年も宜しくお願い致します。
↓大阪支社。かわいらしいですね
↓みんなで社内を盛り上げるために飾りの制作中
↓箱根駅伝を青学コーヒー飲みながら応援していましたが、2位・・・
↓私は年始早速北海道出張。5時間の雪道ドライブ。神経すり減らしました
自調自考について
先日、卒業式以来に訪れた高校。ホームカミングデイと銘打った全卒業生対象のイベントがありました。
私はアメリカに留学していたので、高校2年の1学期までしか学校に通っておらず、高校3年生の時は行ったり行かなかったり(汗
そんなワケで、イマイチ記憶の薄い約30年前の高校生活。でもイベントのお知らせが来た時に「ここで行かなかったら一生行かないかも・・・」と思い、数少ない友人を誘って母校を訪問してきました
↓一部校舎は新しくなっていますが、ほぼ当時の面影が残っています
設立されてからまだ30数年という事もあり、全卒業生合わせても1万人くらいらしいのですが、当日の参加者は300-400名くらいでした。分母から考えると参加者が多い方かと思いました。
↓校長講話
私達が生徒の頃から定期的に聞かされてきた校長講話。今は感想文の提出が義務化されているほど重要なイベントです。
私が高校生の頃は夜の活動?!が忙しくて、昼間はひたすら寝ていたので当然校長講話は子守歌の如く就寝タイムだったのですが、30年経ってまともに1時間、校長講話に聞き入りました。
「なぜこの学校を設立しようと思ったのか」「なぜ自調自考を理念に掲げたのか」「国際人の育成に早くから着目した理由」
などをマクロ経済の見地から、自身の信念に基づいた話、そしてデータを引用した説明など、私が会社のリーダーとなった現在、その聡明かつロジカル、時にエモーショナルな話に大袈裟ではなくて感動しました。
たまたま縁があって入学した学校でしたが、自分の現在を形成している必然的なステップだったのだと今更ながら確信をしました。
↓講演後、教室に掲げられた理念「自調自考」 30年前から変わりません
この教育理念の通り、この学校は実に多士済々な人材を輩出しています。アメリカの大学院でMBAを取って総合商社に入ったけど辞めて落語家になった人、今、旬の俳優である田〇圭さん、そしてイベントの当日に発表されたのですが、高校3年の受験勉強の真っ最中ににレ・ミゼラブルのオーディションに合格した熊谷さんなど、枚挙にいとまがありません。 まさに自分で考えて自分の人生を決めている感がありますね。
しかし、高校生が30年前とは・・・・これ以上年を取りたくないものですね(+o+)